今日の東京は激しい雨が降りました。
そのおかげで夜は涼しくなり、久しぶりに過ごしやすい夜になりそうです。
月が雲からほんの少し顔をのそかせている夜空を見ていると、昔のことを思い出します。
かれこれ、私が呉服屋さんとお付き合いをさせていただくようになって27年です。
新入社員としてPR現代に入社して、右も左もわからないとき、
関東のお店に訪問し、商品説明をする役割を与えられました。
お店に着くやいなや女将さんにこっぴどく叱られました。
一体何が起こったのか理解できないでいると、当時の専務(今の会長)がフォローしてくれたのですが、
それでも事情がつかめずにいたのを今も強烈に覚えています。
呉服屋さんとの最初の出会いは、「とても怖い」体験でした。
上司に同行し、いろいろなお店に伺う機会が出てくると、
その場で話し合われている内容が全く理解できず、ただ頷いているだけの自分がいました。
そして、ほとんどの場合、昼食や夕食をふるまってくれました。
長い時間お店に入れば、なんどもお茶が差し替えられました。
ほぼ発言らしい発言をしない私に対しても、上司と同じようにおもてなしをしてくれました。
ありがたいと思うと同時になんの役にも立たないのに申し訳ないなと思っていました。
私はお店にとってお客様でもなんでもないのに、なぜおもてなししてくれるんだろう。
当時の私には不思議に思えました。
しかし、呉服屋の経営者や社員さんのお客様に対する行動や勧誘時のやりとりを目の当たりにするにつれ、
呉服屋さんは、人をもてなすことを尊ぶDNAを持っているんだと思うようになりました。
勧誘で伺ったお客様もまた、呉服屋さんを手厚くもてなしてくれました。
ここでも同行している私に対して、同様のおもてなしをしてくれました。
お店に顔を出すお客様も、手ぶらで来店されることはほとんどなく、野菜や果物、お菓子などを持参していました。
そんな中で、強烈に印象に残っている思い出があります。
飛行機の距離の担当店に伺ったときのことなのですが、
打ち合わせが長引いてしまい、チケットを取っていた飛行機に間に合わなくなってしまったのです。
すると、社長と女将さんがホテルを手配してくれました。
翌日の一便のチケットを取り直し、当然のごとく夕食をご馳走してくれました。
地元で有名なレストランだったと記憶しています。
翌日が4時起きで空港に向かうため、早めに切り上げてくれて、
ホテルまでタクシーで送ってくださいました。
翌朝、眠い目をこすりながら、ホテルのフロントで鍵を返すと、ホテルの方が
「神山様、お届けものです」と手提げを渡してくれました。
「えっ?お届けものですか? どなたから?」と聞くと
「○○様からでございます」と昨日伺ったお店の経営者の名前を言うではありませんか。
バスに乗り込み、手提げの中身を確認すると入っていたのは、
暖かいおにぎりと熱々のお味噌汁を入れた蓋つきのカップでした。
その瞬間、胸が熱くなって、しばらく顔を上げることができませんでした。
なんてあったかいんだろう!
このとき、なぜ呉服屋さんが親子三代、四代とお客様と長く長くお付き合いができるのか、
その理由の一端を理解しました。
相手の立場に立つということは、こういうことなのかと。
女将さんは一体何時に起きて、これを準備してくれたのだろうかと。
まるで母親から感じる深い深い愛情のようなものをいただいた、そんな気持ちになりました。
全国の有名な百貨店は、もともとは呉服屋さんです。
百貨店になれるほどの商売のあり方というのは、こういうことなんだなと。
PR現代の創業者である大下禮敬相談役は、
日本人ならではの人生哲学や理念を持った呉服屋さんのことを
「日本型専門店」と呼びました。
当時の私にはきちんと理解はできていなかったと思いますが、
呉服屋=日本型専門店の根底にある理念や経営哲学は、
世界的にみても他の追随を許さないほどの価値と素晴らしさを持っていると思います。
なぜ、百貨店にまで発展できたのか。
なぜ、100年の単位で営業し続けられるのか。
なぜ、世代を超えたお客様との関係を作れるのか。
売上を上げるための卓越した技術や手法だけでは、
決してこれらのことは実現できないと思います。
根底にある、人を思い、気遣い、気を配り続け、お役に立つスタンスと
それを数字に変える頭脳と仕組みと行動の両方が呉服屋さんのDNAなんですね。
ながらく、着物業界は厳しい状況に晒されています。
インターネット社会になり、スマホが普及し、
レンタルやリサイクルが当たり前になり、ユーザーとユーザーが売り買いするようになり、
着物を着たいと思う生活者にとって着物を入手する選択肢は多様化し、
その結果、着物は上質なものでも非常に安価に手に入るものに変わりました。
買わずとも来て楽しめる時代になりました。
その先に見え隠れするのは、より厳しい未来です。
それでも、上で書いたようなおもてなしのこころを取り戻すことができたら、
違う未来が作れるように思います。
そのために、私にできることは何か。ちょっと物思いにふけってみます。